内田氏はアメフト部、そしてトップの田中氏は相撲部総監督ということにも驚かされた。相撲部監督時代から覇権を握る野心を持ち、“日大のドン”にまで上り詰めた人物だ。日大相撲部のOBはこう話す。
「1980~1990年代にかけて日大相撲部がアマチュア相撲のタイトルを総なめしていた時代の相撲部監督が田中氏で、当時は全相撲部屋に日大の卒業生を送り込むという“野望”を抱いていた。正月には関取衆が日大に集まって監督に挨拶するというのが慣例になっていた。監督夫人もちゃんこ屋を経営し、“おかみさん”と呼ばれていた。まるで“日大部屋”の親方のようでした。だが、徐々に東洋大や専修大など強豪校が増え、田中監督も興味は大学の経営に向いて行ったようだった」
そうして相撲部の監督とアメフト部の監督が率いた「日本大学」は、異形の巨大組織へと発展していた。
※週刊ポスト2018年6月8日号