かつての常勝軍団の場合はどうだったのだろうか。
「V9時代、特定の球場やチームに負けが込んだという記憶はないね。選手が相手や場所を苦手だ、鬼門だと言い出したら日本一になんてなれないし、そもそもレギュラーにだってなれないよ」
ONを擁して9連覇(1965~1973年)を達成した巨人V9戦士の黒江透修氏はそう振り返るが、数字を追いかけると、意外な事実が浮かび上がってくる。
1965年から1971年までの7年間で、巨人が負け越したのは1967年の中日と、1970年の阪神、大洋相手の3度のみと、他の追随を許さぬ圧倒的な強さを見せていた。だが、1971年から1972年のシーズンをまたいで、巨人はナゴヤ球場で9連敗を喫したのだ。1972、1973年は中日に負け越し、ついに1974年、V10目前で中日に優勝をかっさらわれた。
森祇晶氏が監督を務めた9年間(1986~1994年)でリーグ優勝8回、日本一6度を達成した西武も、1986~1988年の3年間、阪急には勝ち越せていない。阪急の本拠地・西宮球場で黒星が先行したのがその最大の理由の一つだった。前出の安仁屋氏がいう。
「それぞれのケースで、色んな理由があると思いますよ。私は現役時代、甲子園はホームベースからバックネットまでの距離が遠いから、マウンドからキャッチャーまでの距離も遠く感じて、投げづらくてしょうがありませんでした。同じハズなのに、広島市民球場や川崎球場なんかはやたらキャッチャーが近く感じられました。それなのに広島から阪神に移籍してしまったから、しばらくはしんどかったですよ(笑い)」