つまり、「日常」を描くということは、平和な日々や家族愛だけを描くことではない。矛盾や嫉妬や怒りや哀しみまでも、リアルにフラットに捉えていくことであり、家事や雑事、近所とのつきあいの中に、出征も空襲も戦死もあったということ。それらがみな一緒くたに存在していた、ということです。
そして、一家の上にさらに激しく打ち込まれてくる戦争の杭。昨日まで繰り返されてきた暮らしが、文字通り壊れて形を失って……そもそも「歴史」というものは、日常の細部が寄せ集まって幾重にも折り重なった、いわば暮らしの地層のようなものです。それが後の時代になって、いくつかの出来事だけがピックアップされ記録されて「歴史」として教科書に刻印されていく。あたかもそれが全てのように。
しかし、出来事の周りには当然のことながら、誰も記録していないのにたしかに存在したリアルな細部としての日常が広がっています。このドラマは、そうした記録されなかった日常を描こうとするという意味あいで、実に斬新でチャレンジングです。
物語は今後より一層、戦時の色が濃くなっていくでしょう。それはすずの肉体にも直接、影響を及ぼすでしょう。「空襲や原爆のシーンは残酷だから見たくない」「このドラマはほっこりした日常風景が良かったのに」と途中で視聴を辞めてしまう人もいるかもしれません。しかし、ここで目をつむってしまえば、ドラマが投げかけてきた意志を残念ながら半分しか受け取れないかもしれません。
「日常」は、禍福があざなえる縄のように連続している。すずの日常は戦争という出来事に揺さぶられ、破壊されたものもたくさんあった。それを運命だから仕方ないと受け入れるのか。いや、すずや家族たちにはもっと別な、朗らかな暮らしもあった。それを続けることはなぜかなわなかったのか。私たちができることがあるとすればどんなことか──視聴者に託された「日常」に対する大切な問いかけだと思います。