中川:広告業界でも似たようなことを言う人はいますね。所詮、広告なんてバカを相手にしているわけだから、好感度の高い芸能人を出しとけばそれでいい、的に。
橘:ずいぶん前のことなんですが、自分のいた出版業界にはこんな人はいなかったからすごい衝撃でした。エロ本業界のひとたちも何人か知ってますが、みんな、自分のつくった本や雑誌にお金を払ってくれる読者を喜ばせようと真剣に仕事してるじゃないですか。こころの底ではどう思っているかわかりませんが、すくなくとも、自分の読者をバカにしていることを公言する出版業界の人には会ったことがありません。それなのにテレビ業界では、初対面の人間に対して「視聴者はバカだ」と言うわけです。
その若手ディレクターは、茫然とする僕に向かってこう説明しました。「考えてみてくださいよ。平日の午後1時にテレビを見てるってどういう人ですか? ふつうに働いてたら、テレビなんて見ないでしょ。仕事をするわけでもなく、かといって趣味や子育てに忙しいわけでもなく、テレビを見てヒマつぶしするしかない人たちが日本の社会には膨大にいて、そういう視聴者――まさに『バカで暇な人たち』――のために番組をつくってるんですよ。そんなくだらない仕事をしている人間の話を聞いたって、何の意味もないじゃないですか」
中川:衝撃的ですね。
橘:「バカにもヒマつぶしする権利はあるでしょ」って言われましたから。もちろん彼はわざと露悪的に表現したんでしょうが、ワイドショーを制作しているたくさんのスタッフのなかで彼一人だけがそう考えているなんてことはあり得ないですよね。テレビ業界では日常的にそんな話をしていて、それがある種のコンセンサスになっているからこそ、外部の人間にも堂々と言えるんだと思いました。
◆“頭のいい人”の世界から“バカと暇人のもの”へ
中川:テレビが“バカと暇人のもの”だとすると、ウェブは最初は“頭のいい人”の世界で、梅田望夫さん的な「ウェブ2.0」文脈が通用する世界でした。
橘:一部の専門領域の人しか利用していなかったウェブがどんどん大衆化して、テレビから人々が流れ込んでくれば、中川さんが指摘したように「バカと暇人のもの」になっていくのは必然ですよね。ただ、2004年にジェームス・スロウィッキーの『「みんなの意見」は案外正しい』が日本でも評判になったことを考えると、まだ多くの人が「インターネットが世界を変える」と信じていたんでしょう。だからこそ、中川さんに対して反発もあったと思うんですが、10年経ってどちらが正しかったかが見事に証明されましたね。