その甲斐あって、3か月後にはがんは寛解、ドラマ出演も果たした。自信もついた。ところが、それからまもなく、肺やリンパ節にがんが再々発していることがわかる。
「3度目ともなると、絶望的な気持ちになりました。こんなに頑張っているのに完治しないなんて、それまでの治療が私には合っていないんじゃないか、と疑うこともありました」
今回の治療では、3種類の抗がん剤投与により再び激しい吐き気に悩まされ、治療の2日後くらいから約1週間はさらに体調が悪化した。
「食べられないうえに、全身がかゆくなったり、手がどす黒くなったり、指先がしびれてものを持つのもつらくなるんです」
治療のために片道40~50分かけて都心の大学病院まで通った。
「朝6時に家を出て電車に乗るんです。病院ではまず受付に並んで、受付番号をとって検査、採血をします。その結果が出る10時頃まで待って、治療を受ける部屋に入るんです」
検査の結果によっては、「今日の体調では治療ができない」と判断されて、そのまま帰ることも。
「大変じゃないといったらうそになりますけど、これも1つの治療だと思うことにしました。人混みで行動するのは、刺激が違いますよね。それがリハビリになるってどこかで教わったのか、自分でそう思うようになったのか、よくわからないけど。駅の階段の上り下りは、“今日はしんどい”とか“今日は調子いい”とか体調のバロメーターになるんです」
◆悲劇のヒロイン気取りの自分に気づいた
この通院の途中で、人生観が変わるような体験をした。
「ある日、いつものように電車のホームに着いて、売店で水を買おうとしたとき、すさまじい急ブレーキの音がしたので、思わず振り向いたら、その電車に向かって飛び込んだおじいさんがいたんです。若い運転士さんの“やめてくれ”という形相も目に飛び込んできました。
次の瞬間、“生と死ってなに?”と考えていました。私は今、懸命に生きようとして、必死で命をつなごうとして、ここにいる。同じ場所に、自分から命を絶ってしまった人がいる…」