「中継ぎ投手が重視され始めたことと大きな相関関係があると思います。昔も今も一軍選手登録は28名ですが、1990年代はレギュラーと控えには大きな差があり、投手でいえば中継ぎは格下扱いされていたことは事実です。
もちろん、1990年代も投手は先発、中継ぎ、抑えという役割分担ができていましたが、古くからの『先発完投』が投手のあるべき姿という考えも根強かった。2000年代に入り、それが徐々に変わっていきます」
2001年にオールスターのファン投票で中継ぎ、抑え部門が創設される。そして2005年、中継ぎの記録であるホールドがセ・パ両リーグに制定される。
「人的補償による移籍の急増を考える時、2005年が大きなターニングポイントになったと言っていい。阪神の岡田彰布監督がJ・ウイリアムス、藤川球児、久保田智之のJFK、ロッテのバレンタイン監督が薮田安彦、藤田宗一、小林雅英のYFKという鉄壁のリリーフ陣を作り出し、ともに優勝を果たした。この辺りから中継ぎにも回ごとの明確な役割分担が生まれていきます」
現在のプロ野球では7回、8回、9回と終盤の1回毎にリリーフ投手が固定され、その陣容次第でペナントの行方を左右するほど重要視されるようになった。その発端は2005年にあったのだ。
「2005年オフ、巨人が中日から野口茂樹を獲得する代わりに小田幸平、同じく巨人が西武から豊田清を獲得すると代わりに江藤智が指名される。以降2008年、2009年、2015年を除いて、毎年人的補償による移籍が発生しています」