鈴木:それが暴排条例を法律ではなく自治体の条例レベルでしか施行できなかった理由とされていますよね。
溝口:暴対法で存在を認めているのに、”暴排法”で「利益供与禁止」としてしまったら、法律の矛盾が生じてしまうという解釈もあるようです。
鈴木:一方では暴力団の存在を認めて、一方では暴力団を否定するとなると、法律がダブルスタンダードになってしまうということですね。だから、実際は47都道府県の条例はほぼ同一なんだけど、法律ということにはできなかった。
◆憲法を駆使する”無法者”
溝口:情けないのはヤクザの側ともいえる。法的に突っ込みどころのある暴排条例に反論するような理論武装ができなくなっています。
鈴木:昨年は山口組が司法取引とか共謀罪に関する勉強会まで開いてましたけど、ただ勉強したっていう建前だけですもんね。親分に「こういうのやりましょうよ」と吹き込むやつがいて、親分も「おう、やろう」と。
溝口:取り巻きの弁護士にも焚き付けられたりするのだろうし、みんな真剣に考えていない。ヤクザの中には、法律に詳しい組長がいる一方で、「ヤクザ風情にもかかわらずワシらが法律なんて掲げていいのか」という伝統的なヤクザ美学に縛られている者も多い。そもそも、英語では「アウトロー」、日本語では「無法者」というように、法の埒外にいるというのが出発点なんだから。
鈴木:にもかかわらず法に頼ろうとするのは自己矛盾ですよね。だからヤクザにとっては、あくまで「武器としての人権」であり「武器としての憲法」なんです。自分が都合よく生きるために使えるのが憲法だということ。今、憲法改正の議論の中で、「法律は人を縛るもの、憲法は権力を縛るもの」という考え方があるらしいけど、まさにヤクザにとっての憲法は権力と戦うための武器であって、その意味では正しい使い方なのかもしれません(笑い)。