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自分と戦い続ける50代、三浦知良と田原俊彦の挑戦

 なぜ、2人は30年以上も親交を深めているのか。ともに、無謀と思われる挑戦からスタートし、偏見を覆して栄華を極めた時期もあれば、奈落の底に突き落とされたような時代もあった。田原俊彦と三浦知良にしか共有できない境遇があるからではないか。

 田原俊彦は高校1年生だった1976年、ジャニーズ事務所への入所を直談判しにいく。ジャニー喜多川氏から認められると、毎週末に地元の山梨から東京へレッスンに通い、ダンスの技術を身に付けた。「男が踊るなんて……」という偏見が蔓延っていた時代の話である。

 下積みの成果は1980年に『哀愁でいと』でデビューするとすぐに現れ、『ザ・ベストテン』では番組最多の247回ランクイン。1980年代後半にはドラマ『教師びんびん物語』シリーズと主題歌『抱きしめてTONIGHT』『ごめんよ涙』が大ヒットした。1970年代後半に低迷していたジャニーズ事務所の再生は、田原の活躍なしでは語れない。

 三浦知良は高校1年生の1982年に静岡学園を中退し、単身でブラジルに渡る。周囲は成功できるはずないと嘲笑していたが、1986年にサントスFCとプロ契約。その後、コリチーバなど数チームを渡り歩き、ブラジルで実績を残したカズはW杯に出場するという目標を叶えるため、1990年に帰国。

 Jリーグ開幕の1993年にはヴェルディ川崎を優勝に導き、MVPに輝いた。1996年には得点王を獲得。チームでも日本代表でも、カズにボールを回せば何とかしてくれるという期待感に満ち溢れていた。カズなくして、日本サッカー界の発展はなかった。

 だが、永遠に続く栄光などない。田原俊彦は1990年代に入ると、主演ドラマのヒットに恵まれなくなる。1994年にはジャニーズ事務所を独立。売上10万枚以上のシングルは1992年の『雨が叫んでる』以来、生まれていない。

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