また、だからこそ、象徴天皇という制約のもと、大きな苦悩の中から発信されてきた、徹底的に考え抜かれたメッセージに心打たれるのです。今回の在位30年式典での言葉は、その集大成というべき内容でした。
「私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした」
「民度」という言葉を使われたことに少し驚きました。この表現は直接的には災害時における日本国民の節度ある行動を“褒められた”ものですが、その背景には退位にあたってのご自身の真意を国民が理解し、支持してくれたことへの感謝と信頼の意味も込められていたのではないかと思います。
2016年8月8日のビデオメッセージで、明仁天皇は自らの退位について「国民の理解を得られることを、切に願っています」と語られました。そのとき一部の右派からは、「陛下はご自身のお役目を理解されていないのではないか」「天皇が『個人』の思いを国民に直接呼びかけ法律が変わることは、あってはならない」などの批判の声があがりました。
しかし大多数の国民は、明仁天皇がこれまで全身全霊で築き上げてこられた「つねに国民の苦しみの現場に身を運び、その思いに同じ目線で寄り添う」という象徴天皇のあり方をよく理解し、高齢のためそれができなくなったので譲位したいという考えを心から支持した──そのことへの感謝と信頼の思いもおそらくあったのでしょう。