「平成改元は、昭和天皇が崩御(昭和64年1月7日)する前年の秋には、竹下登首相、小渕恵三・官房長官との間で『平成』でいくという方向性が決まっていた。今回は新元号発表まで1か月を切った。菅官房長官が情報漏洩にピリピリしていることから各紙控えめな報道だが、当然、安倍首相と菅官房長官は内々に本命の新元号案と、“外れ1位”やその次の候補の3つくらいの案に絞り込んでいるはず」
新元号はもう決まっているとの指摘だ。
◆改元は「秘密主義になった」
日本初の元号とされる「大化」(645年)から「昭和」まで約1300年、246の元号は天皇が裁可(決定)して定めてきた。
戦後は、日本国憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」と定められ、昭和54年(1979年)の元号法では「元号は、政令で定める」として決定権者は「内閣」に変わった。平成の改元では竹下内閣の小渕官房長官が記者会見で元号を発表する“栄誉”に浴している。
しかし、「元号の歴史社会学」が専門の社会学者・鈴木洋仁氏は、元号の選考過程は逆にブラックボックス化が進んでいると指摘する。
「歴史的にみると、選ばれなかった元号候補も詳しく記録に残されていた時代もあります。大正や昭和の改元の時も、元号選定の初期段階の候補案まで記録にある。だが、国民主権の下で内閣が決めるようになった平成の改元はむしろ秘密主義になった。どんな元号候補があったのか、誰が提案したかも公式に発表されていません」