2012年以降、その設計、資材の調達、施工に至るまで、岡田はマニラに籠って陣頭指揮を執る。その結果生まれたのがカジノ「オカダマニラ」だ。ところが、岡田が東京を留守にしている間に岡田追放劇の萌芽は芽生え始めていた。そして、それが現実になる。
◆「僕がいけなかったのかな」
2017年5月23日、ユニバーサルは臨時取締役会を開き、会長である岡田の職務停止を決議する。寝耳に水で呆然とする岡田を尻目に、用意周到にクーデターは行なわれ、6月29日の同社株主総会で岡田は取締役として選任されず、事実上解任された。
「これは時価総額3000億円以上の会社の乗っ取り事件ですよ。自分で言うのもなんですが、規模から言えば、平成の歴史に名を刻むような大型経済事件です」
このクーデターを可能にしたのが、ユニバーサルの親会社(株式保有比率67.9%)である香港法人オカダホールディングスリミテッドの株主構成だった。同社における岡田の持株比率が約46%に対し、長男(約43%)、長女(約9%)となっており、長男と長女が手を握ればユニバーサルの過半数の議決権を行使できるのだった。
当初、岡田は子供らの離反を甘く見ていたようだ。
「息子の株は“名義株”だから議決権はないものと、高を括っていた。それに、親子ですからね。話せば分かるものと思っていました」
しかし、事態を甘く見た岡田の見通しに反し、家族の態度は頑なだった。一切の連絡を絶たれた岡田は焦燥感を募らせるが術がなかった。ようやく音信不通だった娘と連絡が取れ、説得する。娘の口から出た言葉に岡田はショックを受ける。