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カジノ王・岡田和生氏 「妻と息子に会社を追放されるまで」

岡田家の相関図

◆「パチスロ長者」として有名に

 昭和17年生まれの岡田が、栃木県小山市に「ユニバーサルリース」を設立し、パチンコ業界に参入したのは昭和44年。亡くなった前妻(1998年死去)と2人で、輸入したジュークボックスを分解しては、また組み立てて仕組みを勉強し、それをパチンコ台に応用した。ささやかな創業だった。

 岡田の名を業界に轟かせたのは、コンピュータ作動式のスロットマシーンを開発したことだった。世界のカジノで瞬く間に広がり、ユニバーサル製のスロットマシーンなくしてカジノは成り立たないとまで言われた。岡田の名前は本場・ラスベガスでも知られるところとなり、また国内ではたちまちパチスロ長者として広く知られるようになる。その一方、岡田の超ワンマンな経営は物議を醸すこともたびたびだった。

 20代の頃より、ラスベガスに度々足を運んでは、将来のカジノ経営を夢見ていた岡田にとって、ラスベガスのカジノ王、スティーブ・ウィンが保有する「ウィンリゾーツ」への出資は願ってもないチャンスだった。500億円を出資し、共同経営者となった岡田はアジアでのカジノ開設を夢見る。1999年に高額納税者番付1位になった直後のことである。

「ところが、ウィンの離婚訴訟にともない、株式の持ち分が半減したウィンから、私の支配力を失わせるための訴訟をいきなり起こされたのです。言いがかりに近い訴訟でしたが、(カジノ進出の)計画変更を余儀なくされました。この頃、ラスベガスを凌ぐカジノを、マカオやフィリピン、そして日本で開くことを夢見ていました。出来る自信もあったし、やれると思っていた」

 マカオの夢が萎む中、岡田はフィリピン・マニラでのカジノ開設に注力する。

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