弓子さんの献身は多方面に及ぶ。
「遠征の多いイチローのため、弓子さんは下着にアイロンをかけてきれいに折り畳み、遠征先で身につける順番に沿って荷造りしていたそう。体のケアにも手を尽くし、ホームの試合後にイチローが帰宅したら、30分以上も足裏をマッサージしていました」(前出・在米スポーツライター)
「孤高の天才」を精神面でもサポートした。
「イチローが不調で落ち込んでいる時は愚痴の聞き役になります。“もう少しだけ頑張ってみよう”“打てなかったら仕方ないよ”などと、子供をあやすように優しく励ましていました。2012年には成績が上がらず苦悩していたイチローに、“ほかの球団に行ってもいいのよ”と背中を押し、ニューヨーク・ヤンキースに移籍することになりました。
それでいて弓子さんは何でも“はいはい”と聞くのではなく、イチローが感情的になっていたら“それはダメ”と客観的にビシッと言い、姉さん女房ぶりを発揮するそうです」(前出・スポーツ紙記者)
弓子さんが表舞台に立たなかったことにも理由がある。
「彼女はイチローの勧めでシアトル市内に美容エステサロンをオープンし、夫の資産管理会社も立ち上げました。野球以外のすべての世話をする弓子さんはイチローにとって“同志”のような存在。イチローは報道陣が彼女に群がるのを避けるため、“マスコミの前では笑うな”と言い聞かせて、弓子さんはその教えを忠実に守っていました。その一方で、イチローは親しい人に“弓子には本当に感謝している”と漏らしています」(イチローの知人)
イチローが「100年に1人の選手」なら、弓子さんは「100年に1人の妻」に違いない。
※女性セブン2019年4月11日号