「生徒がすごいかわいくて、でも、『自分の子供はもっとかわいいよ』と言われて。子供ができて思うのは、どっちも一緒だなあ、っていうことです。同じようにすごく大事で、かわいい。血のつながりは関係ないなと感じます。
教員になる前、人生がすごくつまらなかった。若かっただけかもしれませんけど、自分の存在意義って何だろうとかモヤモヤしてたのが、教員になって綺麗に晴れ上がった。自分を満たすのは難しいけど、人に何かするのは、もっと単純でやりやすいんですよ」
国語の教師になりたくて、大学は国文科を選んだ。「自分が目立たない生徒だったので、目立たない生徒も居心地のよいクラスを作りたかった」と言う。講師をしながら、教員採用試験に通るまで10年かかったが、そのことが思いがけず作家への道をひらく。
「7年目から一次試験は通るようになったんですが、二次で落ちる。私、部活とか熱心にしてなくて、アピールする実績が何もない。文章を書くのは得意だったので、当時、授業で使っていた『公募ガイド』を見て、『坊っちゃん文学賞』に応募したんです」
みごと大賞を受賞し、2002年に作家デビューする。
「採用試験でも実績としてアピールしたんですけど、賞の知名度がちょっと足りなかったのか、やっぱり受かりませんでした(笑い)」
優子の通う学校生活のちょっとした場面に、教員経験は生きている。先生の像もリアルだ。
「先生は実際、生徒のことをよく見てますよ。誰と誰がカップルとか、職員室全員が知ってて、先生ってこんなになんでも知ってるんやとびっくりしました」
◆子供も生徒も同じように大事でかわいい
小説の結末は考えず書き始める。本書でも、優子の2人目の母親の梨花さんが優子のもとから去った理由も、最後の最後に、そうだったのか、とわかったそうだ。絶妙なタイトルも、書いている途中で浮かんできたものだ。
「私、すごく仕事が遅くて。編集者が初めて依頼に来てくださったとき妊娠中で、いま無理ですね、次は子供が生まれて無理ですねって、書き始めるまでに3年ぐらいかかってしまって」
書き上げたときは担当者が異動になっていて、計3人の編集者にあてて完成した原稿を送ることになった。「バトン」は担当編集者の間でも渡されたことになる。
瀬尾さんの小説には悪人が出てこないといわれる。
「本屋大賞受賞で、大勢に読まれたら『お気楽な話書きやがって』って怒られそうだ…(笑い)。けど、そんな悪い人っていなくないですか? 私は別に、『善意を書くぞ』って思っているわけではないんです。周りにいそうな人の日常を書いているとこうなるだけ。もちろんひどい人もたくさんいると思うけど、でも、現実の方が小説よりももっと、たくさんいい人もいるし、いいこともあるでしょう?」
サスペンスや医療小説、時代小説は自分には書けないだろうと言う。
「(新作の)『傑作はまだ』を書いたとき、私、自治会の会計をしておりまして。係を決めるときにしーんとした雰囲気で、私、気が弱いから『じゃあ』って手を挙げちゃったんですけど、そのおかげで『傑作はまだ』の地域活動が書けました。
小説を書くためにというわけではないですけど、普通の生活はしっかり送っていきたいなと思っています」
◆取材・文/佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
※女性セブン2019年4月25日号