私は父親の貴ノ花(元大関)の現役時代から自宅に伺う機会が多く、若貴兄弟のことは少年時代から知っていました。子供の頃から父の背中を見て育った兄弟が力士になると聞いた時には、喜びを禁じ得ませんでした。無類の弟思いの兄の勝君(元横綱・三代目若乃花)の全面的な協力もあって、弟の光司君は大輪の花を咲かせることができました。真っ正直に土俵を務める姿は父親譲りのものでした。
父の貴ノ花は横綱になれなかった悔しさが弟子育成のバネとなりましたが、その思いが兄弟にも伝わったのでしょう。兄は父と同じような小さな体で横綱となり、弟は大横綱として一時代を築きました。踵に目があると言われた伯父の初代若乃花の遺伝子もあるのでしょうが、貴乃花の功績は相撲史に長く残ることは間違いありません。
多くの相撲ファンは印象に残る一番として、7場所連続休場の原因となった平成13(2001)年5月場所の武蔵丸との優勝決定戦を挙げますが、私は平成6(1994)年九州場所千秋楽の横綱・曙との一番だと思っています。
前場所に全勝優勝しながら横綱昇進を見送られ、貴ノ花から貴乃花に改名して迎えた九州場所。曙のカチあげに動じず左四つに組み止め、お互いに寄りを投げでしのぐ。動きが瞬時も止まらない大相撲の末、貴乃花が上手投げで逆転勝ちしました。これで2場所連続全勝優勝を飾り、何人も口を差しはさむ余地のない形で横綱昇進を決めました。双葉山以来の57年ぶりの記録となった曙戦こそ、貴乃花の真骨頂でしたね。
●取材・文/鵜飼克郎
※週刊ポスト2019年5月3・10日号