「ゆうべはロスケ(ロシア兵の蔑称)に西棟の社宅が襲われた」
欄外にもさらに免責注がつく。
「『ロスケ』はロシア人に対する差別表現であり、現在は使いませんが、ここでは当時の時代背景を伝えるために使用しております」
一方、避難民がこう発言する。
「日本の警察はいつも威張って…中国人からにくまれていたから」
当時、普通の日本人で支那人を中国人と呼んだ者はいないはずだ。ここでは「時代背景を伝える」必要はないのだろうか。私が全共闘の学生だった頃から半世紀言い続けてきたように、世界共通語である「支那」はそもそも差別語ではない。終戦期の言論統制で「差別認定」されたのだ。ロシヤ人をロスケと呼ぶのは明白な差別だが、それでも免責注を付ければ許される。支那人を支那人と呼ぶのは免責注を付けてさえ許されない絶対的差別語なのだろうか。
「ヤングマガジン」連載中の三田紀房『アルキメデスの大戦』は大東亜戦争中の海軍と陸軍の確執を描いた歴史マンガだが、全篇中「支那」が一箇所も出てこない。驚いたことに、東條英機までが参謀長室で若手科学者にこう言う。
「君の試みは失敗した。中国侵攻はさらに続くのだ」(五月六日号)
中国侵攻って、豊臣秀吉か。