あの年のワシは、その後9月に一軍に復帰して、1か月間で6勝を挙げたんじゃ。ただ復帰前、川上さんに「回復した」と伝えても、「信用できない」と言われての。やはりゴルフのことは怒っていたんだろうな。そこで、当時では前例がなかった二軍でのテスト登板をすることになった。
多摩川の二軍戦に金田が投げるというので、マスコミや観衆が押し寄せて大騒動になったんじゃ。あそこで打たれていたら、ワシの人生も大きく変わっていたろうなあ。結果だと? アホ! 打たれるわけなかろうが!!
最終的にそのシーズンは11勝どまりじゃったが、1.84で最優秀防御率を取って優勝に貢献した。
その勢いで日本シリーズに突入し、ワシは南海を相手に初戦を完投勝利。第3戦も勝利投手となり、「優勝請負人」の面目を果たしたよ。それがあってか、川上さんは生涯ワシの悪口は言わなかったな。その頃には、ワシがリハビリ中にゴルフをしていたことを責める声なんかなくなっとった。
松坂も、うるさい外野を圧倒的な成績で黙らせればええんじゃ。
ただ、プロとしての自覚は忘れるなよ。松坂はキャディバッグを利き手(右手)で運んでいたらしいが、それはイカン。ワシは女を抱いても、絶対に利き腕で腕枕はさせんかったからな。それぐらい徹底してみろ、と叱っておくぞ!
※週刊ポスト2019年6月7日号