ホテルからも程近い雑居ビルに移動し、架空請求メールに騙され電話をかけてきた人々に応対するのが業務だった。相手から名前と年齢、住所を聞き出し、未納料金についての説明をマニュアルに沿って行う。20万から30万円まで、請求金額は様々だったが、金額の違いについては教えられなかった。
「部屋には自分と同じくらいの若者やおじさん、おばあさんもいました。私語が禁止されているのでそれぞれの素性はわかりません。でも、みんな必死に働いていたという印象です」(X氏)
マニュアルに沿って受け答えをし、数件の「実績」をあげたX氏。その被害額がいったいいくらであったかは判然としないというが、最低でも50万円近い振り込み、同額程度の「プリペイドカード決済」を完了させた。「出来るだけ事務的に、市役所の窓口の人みたいな淡々とした口調で」などという現場責任者からのアドバイスも役に立ち、この仕事で食っていける、あわよくば大金を手にして帰国できる、そんな甘い考えも頭をよぎる。一週間を過ぎた頃には、借金の返済も終えたはずだった。しかし──。
「最初の一週間は、現地の責任者という人物(日本人か中国人か不明)に毎晩食事に連れて行ってもらいましたが、その翌週からは完全にホテルに軟禁状態で、責任者の姿も見えなくなった。報酬や借金の話も一切されなくなり、強面の中国人の見張りがつけられ、黙々と電話をするしかない。外出も、外部への連絡も許されない。帰国できるのか、という問いははぐらかされ、逃げると中国警察に捕まって死刑だよ、と脅される。騙されたと思うと同時に、いつまでやらなければならないのか、殺されるのではないかと不安で仕方ありませんでした」(X氏)
中国当局に不法滞在で身柄を拘束された時には「助かった」と胸をなでおろしたというX氏。日本に強制送還された後、逮捕された。実刑判決を受け服役もしたが、逮捕されたことで「今生きていられる」と話す。
「タイの15人も、そのほとんどが高額バイトなどと騙されて海外に渡ったのでしょう。僕と同様に浅はかというしかない。ただ、命があったことだけは本当に救いです。僕が働いていた現場でも、いきなりいなくなる人がいました。どこで何をやっているのかは知りません」
ミイラ取りがミイラに…という典型的なパターンだろう。彼らに同情の余地はないが、こうした事実を知らしめることにより、いくら追い込まれていても犯罪には加担しないという人が少しでも増えれば、と思うしかない。