翌1982年の夏は、5季連続で甲子園出場を果たした“大ちゃん”こと荒木大輔(早実)が甲子園のアイドルとして注目を集めた。
その荒木を“やまびこ打線”の池田が準々決勝で下し、深紅の優勝旗を持ち帰る。池田のエースだった畠山準を南海が単独指名。荒木は巨人との競合の末、ヤクルトが引き当てた。
「畠山は投手として4年間で6勝し、外野手に転向。荒木もプロ10年で39勝49敗2セーブに終わりました。
荒木の抽選を外した巨人がハズレ1位で指名したのが、甲子園出場経験のない斎藤雅樹(市立川口)だった。それが巨人のエースとして通算180勝をあげたのですから、運命はわからない」(前出・平井氏)
撮影/藤岡雅樹
※週刊ポスト2019年9月13日号