時の鈴木善幸・首相は「過去の戦争を通じ、重大な損害を与えた責任を深く痛感している」と記者会見で謝罪した。歴史評論家の倉山満氏は、この時の日本政府の対応が「日韓外交の転機になった」と見る。
「韓国の全斗煥氏も中国のトウ小平氏もこの件を問題にするつもりはなかった。しかし、両国の反日派が問題視したことを受けて全氏が日本政府に問い合わせると、鈴木首相は謝罪を選んだ。当時、閣内では小川平二・文相が拒否を唱えたが、宮沢喜一・官房長官が謝罪を主導。これが韓国内では全斗煥の“功績”となった」
その後、全大統領は日本に100億ドルの新たな経済支援を要求する。それに対し、鈴木氏の後継となった中曽根康弘・首相は、就任直後に日本の現職首相として初めて韓国を電撃訪問(1983年)し、その場で40億ドルの支援を表明した。当時の為替レート(1ドル=約240円)で約1兆円である。
翌年、訪韓した安倍晋太郎・外相(安倍晋三首相の父)に、全大統領はこう語った。
「弱い立場にある人間は普通、富める人、強い人に対してひねくれた感じを抱くものだ。これまでの誤解の大部分はそういうものだったろうと思う」「強い人、富める国は多少損をしても寛大な気持ちを持って欲しい。それが両者間の調和を保つための知恵であり、テクニックだと思う」(日本経済新聞1984年7月9日付)
日本への謝罪要求と経済支援が強く結びついていることが窺える発言だ。前川惠司・元朝日新聞ソウル特派員はこう指摘する。