韓国は1988年にソウル五輪を成功させるなど経済的成長を遂げた。
「それに伴い、反日の目的が経済的利益から、韓国内で支持率が下がった時の政権浮揚策へと変わっていったと考えられる」(西岡氏)
結果、就任当初の「親日」が、「反日」に変わる流れが繰り返された。金泳三・大統領(1993~1998年)は就任時、「日本政府には物質的補償を要求しない」と宣言し、未来志向の関係を築いていくとしていたが、その後、変化する。前出・黒田氏が言う。
「初の文民政権だった金泳三政権は世論を意識し、日本統治時代の朝鮮総督府の建物を爆破したり、竹島(韓国名・独島)に埠頭を建設するなど、わかりやすいかたちで、“愛国”をアピールするようになりました。
続く金大中・大統領(1998~2003年)は、小渕政権との間で『日韓共同宣言 21世紀に向けた新たな日韓パートナーシップ』(1998年)を締結。日韓関係が比較的、安定した時代でしたが、その金大中氏も、日本政府に35項目の記述修正要求を突き付けています」
2003~2008年の盧武鉉・大統領も就任当初は「未来志向」を謳い、小泉純一郎・首相との間で「シャトル首脳会談」を推進することで合意、会談を重ねた。だが、2005年になると、日本からの独立運動を記念する「三・一節」の演説で「植民地支配への明確な謝罪と反省、賠償」を要求。日本統治時代の「親日派」の子孫を排斥弾圧する法律を施行するなどした。
その後の李明博・大統領(2008~2013年)、朴正煕氏の長女である朴槿恵・大統領(2013~2016年)が、就任当初は協調的な態度だったところ、政権の求心力が失われると「竹島上陸」や「千年の恨み演説」などで日本批判に転じたことは、まだ記憶に新しい。そして、文在寅・大統領も日本批判を弱めない。