続く全斗煥・大統領(1980~1988年)の時代、日本の教科書問題に端を発した流れのなかで、1983年に中曽根政権から40億ドルの経済支援がなされたが、全氏は1984年、訪韓した安倍晋太郎・外相との会談でこう述べている。
「過去に執着することなく、日韓の未来の協力のあり方について韓国国民は真しな願いを持っており、(私の)訪日を理解していると信じている」(1984年7月9日、日本経済新聞)
日本からの経済支援を得た後に「親日」発言に転じるという時系列だ。麗澤大学客員教授の西岡力氏が解説する。
「朴氏は、“自分も反日だが、共産主義との対立に勝つには日韓友好が必要”という立場だった。それが全氏以降の時代になると、“経済的な利益を得るための反日”へと変化していったと考えられます」
盧泰愚・大統領(1988~1993年)は、1990年に来日した際、天皇の宮中晩餐会の答辞で、「韓国国民はいつまでも過去に束縛されていることはできません」(1990年5月27日、日経新聞)としていたが、1992年の宮沢喜一・首相の訪韓の際に慰安婦問題が浮上。この時の首脳会談で盧氏は謝罪要求とともに、「貿易不均衡、産業技術移転について日本が胸を開いて強者が弱者を助けるとの態度で協力してほしい」(1992年1月17日、日経新聞)と経済的利益を求めた。
この首脳会談を受け、両国政府は日本企業の先端技術を韓国に移転させる財団の設立に合意している。
◆就任当初は「未来志向」