展示中止が発表された8月3日、私は実際にこの作品群を観ている。作者の日本に対する激しい憎悪————それを真っ正面から受けた私は、ただ作品を凝視するしかなかった。
私はまわりの人々にも目をやった。皆、無言でこの作品を観ていた。いや、睨みつけていた、と表現した方が正しいかもしれない。
天皇を憎悪し、侮辱する作品はこれだけではない。その映像作品の手前には、昭和天皇を髑髏(どくろ)が睨んでいる作品も展示されていたし、また通路を挟んだ向かいには、正装した昭和天皇の顏の部分を白く剥落させ、うしろに赤で大きく✕を描いた銅版画もあった。
さらに歩を進めて広い空間に出ると、そこにはテントのような「かまくら形」の作品があった。外壁の天頂部に出征兵士に寄せ書きした日の丸を貼りつけ、まわりには憲法九条を守れという新聞記事や靖国神社参拝の批判記事、あるいは安倍政権非難の言葉などをベタベタと貼りつけ、底部には米国の星条旗を敷いた作品である。
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の展示(時事通信フォト)
タイトルは「時代の肖像―絶滅危惧種 Idiot JAPONICA 円墳―」。Idiotは「愚かな」という意味であり、おそらく「絶滅危惧種」たる愚かな日本人の「墓」を表わしたものなのだろう。少女像が展示されていたのは、この作品の奥である。
◆事実をねじ曲げて寄せていく
私は、少女像より何十倍、何百倍もの日本への憎悪をこれらの作品に感じた。しかし、マスコミは朝日に代表されるように、絶対にこの作品群を正確には報じない。なぜか。
答えは簡単だ。もし、作品群の真実を報じたら、問題の「表現の不自由展・その後」に展示されているものがいかに「表現の自由」を逸脱しているかがバレてしまうからだ。
表現の自由は、長い時間をかけて人類が獲得した崇高な自由のひとつである。これを侵してはならないのは勿論だが、同時にそれは「無制限」ではなく、運用にあたっては「節度」と「常識」が必要であることは言うまでもない。
だが、新聞とテレビは、この作品群をひたすら「少女像」だけに矮小化させた。つまり、「一部の保守派が少女像に反発し、表現の自由を圧迫している」という図式で報じたいからだ。そのためには、非難が高まるような昭和天皇に関わる作品や、亡くなった兵たちの死を揶揄したり、馬鹿にしたものであってはならないのだ。
自分たちが主張することに「事実をねじ曲げて寄せていく」ことを朝日社内では「角度をつける」という隠語で表わす。日本では、ほかのメディアでもこれが日常化しており、新聞とテレビしか情報源を持たない情報弱者、つまり“情弱”は、完全に彼らに踊らされているのである。