元ミュージシャンの父と元歌手の母の間に生まれたえなりは、幼稚園に行く代わりに劇団と音楽教室に通った。
5才にして『渡鬼』デビューすると、父が社長で母がマネジャー、所属タレントはえなりと弟・江成正元(30才)のみという個人事務所で芸能活動を続けてきた。
「一家で芸能界を渡り歩いているだけに結束は固い。デビュー当時は10坪の2DKのマンションで暮らしていましたが、今から16年前に住居兼事務所としてビルを買ったんです。その都心に建つビルは地上3階建てで400平方メートル近い豪邸。中古物件ですが少なくとも3億円を超えるはずで、そのほとんどをキャッシュで払ったと噂されていました。ドラマで頑張ったえなりくんの功績から、近所では“子役ビル”と呼ばれています」(前出・TBS関係者)
芸能界を生き抜く一家の中心となったのが、えなりの母だった。
「お母さんは小柄で優しい感じの人ですが、息子のこととなるとステージママに化けます。視聴者にとって“理想の息子”というイメージを維持するため、子役時代からシャツをズボンの中に入れるファッションを徹底させ、20才になっても携帯電話を持たせなかった」(前出・TBS関係者)
えなりにとって母親は絶対的な存在であり、芸能界での先導役でもあった。
「現場でのえなりくんはなんでもそつなくこなす優等生。いつもそばにいる母親の方を見ていた印象でした。母親はメインキャストや橋田先生、石井先生への気遣いはとにかくすごかった。ただ、ほかの子役には鋭い視線を向けていましたね。
えなりくんは“あの子に近づくな”と母親に言われれば距離を置くし、あの人に挨拶しなさいと言われればそうする。母親が公私ともに支えているといえば聞こえはいいが、実際の彼は母親の操り人形みたいで、なんだか気の毒でした」(前出・共演者)
一方のピン子もえなりにとっては大きな存在だ。子宝に恵まれなかったピン子は、5才から共演するえなりをわが子のように接してきた。
「一時期、“えなりの母です”と周囲に言っていたこともありました。それだけに子育てのつもりで『アンタ、芝居になってないのよ』と厳しく演技指導をすることもありました。あまりの剣幕に幼いえなりくんが怯えてしまい、本番中に頭が真っ白になってせりふが飛んだこともあった。ピン子さんはえなりくんの私生活にも口を出し、『アンタの結婚相手は私が認めないとダメよ』と、冗談とも本気ともつかないことを言っていましたね」(前出・共演者)
◆あんたは母親から自立した方がいいわ
当初、“2人の母”はえなりを交え、食事にも行く仲だった。しかし、風向きが変わったのは、えなりが成人する前後の時期だった。