「その工藤も、1999年オフにFAでダイエーから巨人に移籍。2000年にはダイエーを倒して、巨人を日本一に導きました。その年のドラフトで阿部慎之助が巨人に入団しています」
2001年、入団1年目から阿部は開幕スタメンに名を連ね、レギュラー捕手として127試合に出場した。しかし、チーム防御率はリーグワーストの4.45。巨人は連覇を逃した。この年、ケガで1年をほぼ棒に振った工藤とともに、阿部のリード面を批判する声も出ていた。
「阿部の2年目以降、英才教育を施したのが工藤でした。キャンプ中にはブルペンで、キャッチングについて『ハッキリ意思表示しろよ!』と怒鳴ったり、オープン戦ではサインの半分以上に首を振ったりするなど鍛えまくった。その甲斐もあってか、阿部はリード面でも成長し、2年目の2002年はチーム防御率もリーグ1位の3.04に上昇。阿部は今でも感謝しているはずです」
この年、工藤は就任1年目の原監督の元で9勝を挙げて日本一に貢献。日本シリーズでも、第3戦に先発して8回を投げて勝利投手になった。
2003年限りで原監督の第1次政権は終了。2006年から第2次政権が始まるが、工藤はケガなどで13試合しか登板できず、3勝に終わった。この年のオフ、FAで巨人入りした門倉健の人的補償として横浜に移籍。ここで、指導者・原辰徳と選手・工藤公康、投手・工藤と捕手・阿部慎之助の関係性は終止符を打った。
かつて選手として日本一を争い、監督と選手として日本一に輝いた経験もある原と工藤が今度は別チームの指揮官として覇権を目指す。今年限りで引退する阿部慎之助は、師匠である工藤と、選手と敵チームの指揮官として相対する。因縁の日本シリーズは10月19日に開幕する。