「よく『美学=美について考える学問』と誤解されるのですが、例えば優れた芸術作品を見た時の感性の動きとか、言葉にならない曖昧な部分を、限界があると知りつつ言葉で分析する、ちょっとした言語不信から始まっている学問で、“哲学の妹”的な学問です。
その、言葉を信じすぎないところが私は好きです。特に体の問題は従来の学問にはない部分が大事だったりもします。体には法則で語れるサイエンスの部分と、本人の個人史や病気や事故の経緯など、多くの偶然的要素を孕んだヒストリーの部分があり、両方を見ないとわからないんです。
しかも誰もが、与えられてしまった自分の体と嫌でも付き合っていくしかなく、何か問題が起きると意識の方で工夫を編み出したり、その工夫が逆に体に影響したりする。そういった、人がその体を生きていく中で生じる関係全般に、私は興味があります」
〈本書が扱うのは、出来事としての記憶そのものではありません〉とある。例えば口内炎ができた時はこう食べる、仕事に集中したい時はこうするなど、人は経験から独自の方法論や教訓を導き出し、その人だけに有用な〈究極のローカル・ルール〉さえ存在する。
この経験に基づく法則が実は固有性を形作り、〈特定の日付をもった出来事の記憶が、いかにして経験の蓄積のなかで熟し、日付のないローカル・ルールに変化していくか〉、つまり〈記憶が日付を失う過程〉に、本書は注目するのだ。
例えば先述の全盲の女性、西島玲那さんは生来、夜盲などの症状があり、高1の夏休みに網膜色素変性症を発症。だがその当日も家を出るまで異変に気付かなかったというほど、視覚だけに頼らずに彼女は生きてきていた。そのため19歳で完全に失明してから約10年が経つ今も、伊藤氏の目の前で話の要点を適宜メモし、地図や絵まで描いてみせたという。