1979年秋から翌年春まで放送されたドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)で生徒の沢村正治役を演じて人気を得た田原俊彦は、1980年6月21日に『哀愁でいと』でデビュー。これはレイフ・ギャレットの『New York City Nights』のカバー曲だった。
作詞家の小林和子氏は『金八先生』のVTRを取り寄せ、田原の演技をじっくり鑑賞した上で、〈寂しそうな役柄だったので、『哀愁』という言葉が彼に合うかなと思いました〉(拙著『田原俊彦論』より)と日本語詞を付けた。
つまり、『哀愁でいと』の歌詞は“陰”のある沢村正治役のイメージから連想されたもので、1970年代ジャニーズの面影が残っていた。同曲は当時の人気番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で3週連続1位に輝くなど大ヒットしたが、カバー曲のため、歌謡界で権威のある『日本レコード大賞』の選考では対象外となる。絶対に2曲目をヒットさせる必要があった。
そんな重圧の中で生まれたのが、9月21日発売の『ハッとして!Good』だった。当初は別の曲に決まっていたが、直前にジャニー氏が却下。ディスコブームの流れからビージーズのようなサウンドを求めていた彼の意向を汲み、ディレクターの羽島氏が長くアメリカに留学していた作家の宮下氏に白羽の矢を立てた。
出来上がってきた楽曲をダンスミュージックにするように依頼された編曲の船山氏は、グレン・ミラーのようなスウィングのリズムを取り入れた。すると、新時代の到来を予感させるような明るくてキラキラした曲調に仕上がり、キャッチーな歌詞も相まって田原俊彦の“陽”が引き出された。
オリコンの歴代編曲家シングル総売上2位で、沢田研二『勝手にしやがれ』など2700を超える編曲を手掛けている船山氏は、羽島氏との対談で、〈「ハッとして!Good」は僕としても会心のアレンジだった。あんなに思い通りにいった曲は後にも先にもなかったよ〉(書籍『ヒット曲の料理人 編曲家・船山基紀の時代』(リットーミュージック)より)と振り返っている。