当選議員最年少が話題になるようになって久しい。2000年第42回衆議院議員総選挙最年少当選の社民党の原陽子衆議院議員・25歳(時事通信フォト)
思えば私たち団塊ジュニアは1990年代まで、政治はダサくてかっこ悪いものと考えていた。団塊ジュニアにとって政治に関わることは「ダサい」ことだったし、政治を語ることは「気持ち悪い」ことだった。幸い進歩的な家庭、洗練された地域に育った者は違うのかもしれないが、おおよその田舎の同世代たちの感覚はそうだ。学校で政治の話をする奴なんてクラスの変な奴だった。
そして21世紀、本来は政治とは若者も加わって動かすもののはずなのに、いまだに政治のイニシアチブは取れず、いつの間にか不利な労働、不利な制度が決まることが繰り返されている。政治参加どころか投票率すら低いまま、世代として政治に影響力を何ら掴むことのできなかった団塊ジュニアは、氷河期を発端にいまでも各個撃破され続けている。
敗戦からめざましい復興を遂げ「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言したのが1956年。1973年まで続いた高度成長期において、戦争によって年配の世代にあたる人口が少なかった影響はあるものの、政治家とは多くは20代、遅くとも30代でなるものだった。1972年に首相となったとき田中角栄は54歳だったが、彼は二十代のときから国政選挙に出馬していた。
高度経済成長からバブル期までの繁栄は、第一次ベビーブーム(1947年~1949年生まれ)と第二次ベビーブーム(1971年~1974年生まれ)によって、子供と老人の割合が少なく15~64歳の生産年齢人口が多い人口ボーナスが発生していた影響が大きい。その繁栄のうちに来る縮小期への備えをしておけばよかったのに、何も行われなかった。人口ボーナス期が過ぎるまで受験戦争、就職戦争に興じ、多くが雇われて働く安定を目指し突き進んだが幾度もの挫折を味わったのが、現在の団塊ジュニアを中心とした「しくじり世代」のおじさんおばさんである。
同世代との競争ばかりしてきた結果、同世代が力をあわせて社会で何かを生み出すことをほとんどしてこなかった。政治への参加も消極的だった。その結果、ポスト団塊ジュニアを含めれば二番目に人口が多い世代だというのに、いまだに政治を我々の手で決められず、救済をお願いするしかない世代でもある。もう40歳を過ぎたどころか50歳にも手が届くというのに。田中さんが何らかの形で主体的に政治に関わるのは喜ばしい動きだろう。がんばってほしい。ちょっと考えが違う部分もあるけど、その時になったら応援するよと伝えた。
「やめろ、応援したらこの記事で特定されちゃうだろ」
言われてみればそうだ。選挙民には知られたくない本音も明かしてくれたのだから。二人で笑った。