◆SARSも MERSも抗ウイルス薬は開発されていない
感染症の場合も、一般の病気と同じような新薬開発の難しさがある。
感染症には、感染原因が細菌や寄生虫のような生物の場合もあれば、ウイルスのような非生物の場合もある。細菌や寄生虫は、細胞分裂による自己複製が可能で、栄養があるなどの条件が整えば増殖することが可能であり、その点から生物といえる。一方、ウイルスは自己複製できず、なんらかの細胞にとりついて増殖するしかない。このため、非生物ということになる。
ウイルスの場合、生物でないことが新薬開発をいっそう困難なものとしている。
たとえば、細菌であれば、たいていは細胞壁をもっているので、その合成を阻害する作用を持たせることが医薬品開発の足掛かりとなる。一方、ウイルスの場合、DNAまたはRNAを囲むタンパク殻はあるが、細胞壁のようなものはなく、ウイルス全般に効果がある汎用的なアプローチは考えにくいといわれる。
また、細菌は生存するための機構を一通り持っており、その増殖を止めるためのターゲットがいくつも考えられる。しかし、ウイルスの場合、みずから作るタンパク質が少なく、医薬品としての狙いどころが限られているともいわれる。
このため、これまでに、抗ウイルス薬は、HIV、インフルエンザ、B型・C型の肝炎など、限られた感染症に対するものしか開発されていない。今回と同様、コロナウイルスを原因とするSARS(重症急性呼吸器症候群/2002年に流行開始し、翌2003年に感染拡大ののち終息)や、MERS(中東呼吸器症候群/2012年に開始し、現在も中東地域で流行中)に対する抗ウイルス薬は、開発されていない。したがって、当面は、解熱や、筋肉痛の痛み止めなど、薬剤による対症療法が治療の中心となる。
◆抗HIV薬を転用投与する臨床試験が本格化するが…
以上の通り、新型コロナウイルスの抗ウイルス薬を一から作るのは難しい。そこで、すでにある医薬品を、このウイルスの医薬品として転用できないかという検討が進められている。既存薬から別の病気の薬効を見つけ出す手法は、「ドラッグ・リポジショニング」と呼ばれており、新薬開発でよく見られるものだ。
たとえば、解熱薬や頭痛薬として知られている「アスピリン」は、血液をさらさらにする作用を持っており、これを生かして、脳梗塞や心筋梗塞などの治療に用いられている。ほかにも、血管を拡張する作用を持つ狭心症の治療薬が、男性のED治療に転用されて、「バイアグラ」として実用化された例が有名だ。
今回の感染拡大では、タイ政府が、タイの医療機関で抗HIV薬とインフルエンザ薬を併用して患者に投与したところ、症状が軽快したと発表した。
日本でも国立国際医療研究センターで試験的に抗HIV薬を患者に投与したところ、症状が良くなったとされている。集団感染が発生して横浜港に停留したクルーズ船でも、患者の治療に抗HIV薬が用いられたという。厚生労働省は肺炎患者に対して、新型インフルエンザ薬、エボラ出血熱治療薬、抗HIV薬の3つを投与すると明らかにしている。今後は、その臨床試験が本格的に始められる予定だ。
ただし、その効果を見極めることは簡単ではない。仮に医薬品を投与された患者の病状が軽快したとしても、それが医薬品によるものなのか、それとも医薬品とは別に安静に療養していたことで快方に向かったものなのか、よくわからないためだ。そこで、副作用の有無とあわせて、臨床試験の結果を慎重に判断する必要があるとみられる。