もう一度繰り返しますが、私たちは感染を防ぎ十分すぎるほどの対策を、個人でも、又学校でも、国でもやらなければなりません。
そして私はここでは感染症のもたらす恐れについて書き記しておきたいと思います。昨年、感染症関係の医学会で二度ほど江戸時代の状況について話をさせていただきました。その時、学会の後の懇親会で、世界的に著名な感染症学の先生と話をしました。その時先生の口から出た言葉が忘れられません。
「感染症は勿論蔓延が恐ろしい。しかしもっと恐ろしいのは病いに対する人々の差別と偏見です。」
感染症に対する特効薬が作られ、人から人への感染が完全否定されたにもかかわらず、長く人権を無視した差別が続けられて来ました。例えば、ハンセン病に対する隔離政策があげられるでしょう。近年ではエイズに対する就職差別がありました。感染症だけではありません。水俣病の患者に対しての差別が、水俣出身の子どもたちにも及んだこともありました。又、感染症とは無関係ですが、つい最近では、福島の原発事故以降の放射能汚染に関連し、福島出身の子供たちへのいじめがあったことも報道されました。
本日、29日の毎日新聞デジタル版(ベルリン特派員の記事)によれば、ヨーロッパではすでにコロナウイルスに関するアジアの人々への偏見が広まっていることが伝えられています。このようなことは断じて許されるものではありません。差別・偏見には勇気を持って戦わなければなりません。
私たちは、誤った負の感染症の歴史を繰り返してはならないのです。そして、今、我々の身近で起きうる危険があることも認識しなければなりません。
私達のすぐそばには、自らのプライドを真っ逆さまに突き落とす奈落の断崖があるのです。自らが又隣人が差別者になる危険があることを認識しなければなりません。不安と危険の渦中にあるからこそ、私達は、人間の誇りとヒューマニズムの勝利を誇らかに歌わねばならないのです。
私達の精神は、危機と不安の中に立たされ揺らいでいるかもしれません。しかし、そのような時であるからこそ、人間の評価が試されているのです。危機的状況は人間の尊厳が試される時でもあります。毅然たる態度で、究極のやさしさをもって人々に接しましょう。