昨年10月、フルーツを手に移動車から降りてきた綾瀬
「はるかちゃん(会話中は綾瀬の本名)の東京の友人知人が『パパを死なせてはいけない』と最先端の治療を受けられる東京の病院を紹介したんです。お父さんは新幹線で片道4時間かけて広島から上京して治療を受けるようになり、はるかちゃんも時間の許す限り、治療に付き添いました」(前出・綾瀬の親戚)
肺がんは進行が早く、予後が悪いことで知られる。治療中に呼吸困難や疼痛などに悩まされるケースも多く、闘病は決してたやすくない。
綾瀬は必死でがんと闘う父親に寄り添い続けた。
「広島から長時間かけて移動して治療を受けるのは体力的にも大変で、お父さんはよく『やねこいよ(しんどいよ)』とこぼしていました。はるかちゃんはその姿を見て心を痛めつつ、“なんとか生きてほしい”と祈り続けていました」(前出・綾瀬の親戚)
必死の治療のかいがあって、父親は一時、畑仕事ができるまでに回復した。綾瀬や親族は奇跡を信じたが、昨年6月に病状が急変し、家族を残して旅立った。
「お父さんは東京の病院で亡くなったのち、広島に戻ってきました。“ずっと調子がいいから、このまま助かるんじゃないか”と思った矢先の急な別れだけに、はるかちゃんは通夜や葬儀の間は涙にくれていました。1週間ほど実家にとどまり、お母さんのそばで共に涙していました」(前出・綾瀬の親戚)
地元の風習にのっとり、父親のお墓は実家の庭にある。そこから父親は、「気楽にやりなさい」と愛する娘を見守り続けるはずだ。
※女性セブン2020年3月26日・4月2日号