1969年という時代は、戦後日本を考える上でも大きな意味を持つと田原氏は言う。
「終戦から24年、あらゆる戦後体制にひずみが出てきた。安田講堂事件や10・21国際反戦デー闘争はその現われでしょう。日本人の真の自立とは何か、人間とは何か。全共闘も三島も、右も左も全員が真剣に考えていた。そういう最後の時代でした」
田原氏は1969年7月、ジャズピアニストの山下洋輔をバリケード封鎖された早稲田大学に連れて行き、ゲリラ演奏会を実行。その模様を映像に収め、『ドキュメンタリー青春 バリケードの中のジャズ』としてテレビ東京で放送した。
「共産党系の民青(日本民主青年同盟)から革マル、中核の連中までみんなギラギラしていた。命がけの信念があったんですね。そんな彼らが、黙って演奏を聞き始めたことに驚きました。ある意味、純粋なのだとも思った。現代の日本人が無くしてしまったものが確かにありました。あの年にやったからこそ撮れた絵だと、今でも思っています」(田原氏)
当時、民青のメンバーとして活動していた元共産党参議院議員の筆坂秀世氏(72)もこう語る。
「民青と全共闘は敵対していたセクトだけど、あの討論会を始め1969年という時代には、派閥を問わず『俺たちが社会を変えるんだ』という学生たちの高揚感があった。翌年の70年安保を機に学生運動は一気に収束するわけですが、その直前の最後の咆哮というのかな。ある意味では断末魔とも言えるのですが、学生たちの叫び声が鳴り響いていましたね」
政治の季節が終わると、日本はますますエコノミック・アニマルの道を突き進んだ。全共闘世代の後には、政治的無関心が広まった「しらけ世代」、「新人類」、「バブル世代」が続いた。橋爪氏は「1969年に日本社会はぽっきり折れた」と振り返る。