高校時代に聖地・甲子園で活躍し、その重みを知るOBにも意見を聞いた。
1969年夏、青森・三沢高校で東北勢として戦後初の決勝進出を果たし、愛媛・松山商業との延長18回・再試合をひとりで投げ抜いた“元祖・甲子園アイドル”の太田幸司氏(68)だ。
「今でこそ甲子園球場は解説でよく行きますが、最初に球場正面の蔦を見たときは震えたね。グラウンドは今より何倍も広く見えたし、アルプスはそそり立っているように感じた。青森ではスタンドのある球場でやったことがなかったですからね。スパイクがサク、サクッと入っていく柔らかなグラウンドの感触にも感激しました。
僕は春夏合同開催には賛同できない。地方大会を勝ち抜いた夏の代表と、地域的なバランスや品行方正ぶりも考慮して選ばれたセンバツの代表はまるで別物ですから。
でも、やはり聖地・甲子園の素晴らしさは味わってほしい。せめてどこかのタイミングで練習だけでも思う存分やらせてあげたいね。しっかり時間をかけて芝や土の感触を味わって、最後は“甲子園の土”を自分の手で持ち帰ってほしい」
※週刊ポスト2020年4月3日号