翌年4月から土曜夜7時30分から『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(フジテレビ系)が1時間半番組として始まり、再び『全員集合』と萩本が対決することになった。2つの番組は一進一退の攻防を続け、マスコミは“土8戦争”と煽った。だが、もともと彼らは遊び仲間だった。萩本はこう言っている。
〈コント55号を結成してテレビに出てから、一番遊んだのは、ドリフターズの面々。当時はライバルって言われてたから意外でしょ? 特に加トちゃん(加藤茶)、コーちゃん(仲本工事)とは気が合った。大井競馬場行くと、コーちゃん必ずいてさ。そのまま彼の家行ったりしてたよ〉(前掲・スポーツ報知)
両者は決して不仲ではなかった。昭和60年9月限りで『全員集合』が終了すると、翌月から始まった萩本司会の『TVプレイバック』(フジテレビ系)に、週替わりでドリフのメンバーが出演。昭和61年1月開始の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS系)に萩本が出演し、加藤茶、志村と寿司屋のコントを披露した回もあった。
一見、下ネタを嫌う萩本欽一と志村けんの方向性は違うように思える。しかし、2人とも現在主流の“言葉の笑い”ではなく、“動きの笑い”を目指していた。志村の憧れだったコント55 号は、テレビのフレームから外れるほど舞台を駆け回った。ドリフも会場を目一杯に使うコントでお茶の間を沸かせた。思えば、萩本の『なんでそーなるの!』、坂上二郎の『飛びます、飛びます』、志村の『アイーン』はいずれも動きを共にしたギャグである。
『加トちゃんケンちゃん』や『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)が子供に大人気だった頃、志村はこう語っている。