この頃、志村は多忙なドリフの付き人の仕事をしながらネタ作りにも励んでいた。そして、昭和47年には同じ付き人仲間と『マックボンボン』を結成。同年10月には『ぎんぎら!ボンボン!』(日本テレビ系)のレギュラーに抜擢され、順風満帆なスタートを切った。
しかし、同番組は3か月で終了してしまい、志村の相方はショックから行方をくらましてしまう。新しいメンバーを入れて、マックボンボンは再出発。年が明けて、すぐに同じ時間帯で始まった『シャボン玉ボンボン』(日本テレビ系)にも出演した。
実は、この番組の司会は萩本欽一だった。ドリフ加入前の志村、ソロ活動に比重が傾きつつあった萩本が共演していたのだ。後に、萩本はこう話している。
〈けんちゃん(志村けん)はドリフ入る前に「マックボンボン」ってコンビ組んでたんだけど、そのときに一緒に番組やったことがあるんだよ。でも、スポンサーの意向でなぜかボクだけがクビになっちゃった。もしアレが成功してたら、彼もドリフに入らなかったんじゃないかな。「加トちゃんケンちゃん」じゃなく「ケンちゃん欽ちゃん」になってたかもね〉(平成27年5月16日・スポーツ報知)
番組は、またもや3か月で打ち切りに。マックボンボンは解散し、志村はドリフの付き人に戻る。偶然にも、この昭和48年、荒井注がドリフ脱退を申し出る。すると、いかりやは志村を指名。志村は見習い期間を経て、昭和49年4月1日にザ・ドリフターズの正式なメンバーになった。