いつまでも子どものまま、子どもが子どものまま親になってしまったのが栗城くんだ。孤独としくじりが、依存症(だとするなら)をさらに悪化させているのだろうか。病院に行くべきか私にはわからないし、栗城くんもゲーム好きなだけで依存症ではないと言う。趣味で家庭崩壊、生活破綻など私もいくらでも目の当たりにしている。私の母方の祖父は世田谷の家を失っても収集癖が治らなかった。遠い昭和の話だが、私もそんな祖父に似ていると言われることが嫌だった。親戚から多額の生活費を借りて、その金で舶来の高級カメラを買うような人だった。
「それに別居はゲームだけが原因じゃないんです。性格の不一致もあります。もう娘に会えればそれでいいですよ」
(仮)な彼女に入れ込んでいた時期は奥さんの妊娠中だった。不一致とかいう問題ではないと思うが、性格はともかくいろんな意味で不一致なのは明らかだ。バレンタイン、暗殺者の少女に大金ぶっ込むなら奥さんにプレゼントのひとつも買えばいいのにと思うが、それでもなぜか私は栗城くんのことが憎めない。世間様から怒られるかもしれないが男同士、ダメ人間同士とっても愉快に思ってしまうのだ。ボードレールの『悪の華』ではないが、私の周りにもこんなダメ人間がいっぱいいた。それをかっこいいと思う時代もあった。
「そういうのもあるかも知れませんね、編集の先輩ですけど破滅型でかっこよかった。逮捕されちゃったけど、いまはどうしてるのかな」
同業の逮捕者も自殺者も少なからず知っているが、栗城くんは逮捕されたり死んだりしないだけマシと考えるべきなのか、でも彼の人生、このままソシャゲにぶっこみ続けるならそれ相応の破滅は目に見えている。ゆくゆくはこんな人がお父上だと知るであろう娘さんもかわいそうだ。それでも破滅を止めるには、彼自身の意志のみに委ねるしかないのか。依存症だとするなら、それは難しいように思える。過干渉かもしれないが、私も程々にするよう逐一諭すこととした。パチスロをやめることができた彼、興味が他に行けばどうにかなると素人考えで思っているのだが。いつでもどこでもソシャゲは出来る。なかなか難しい。
コロナによる自粛、家籠もりは私たちが経験したことのない非常事態だ。日本はもちろん世界的に家庭内の暴力が増えたという話もあるし、酒の量が増えたという人は私の身近にもいる。リモートワークで酒量が増える、DVが増える ―― 経験したことのない過度のストレスは人によっては依存症を悪化させる。栗城くんは情けないとこぼすが、誰しも心が依存に溺れる危険がある。これは意思の強い、弱いだのといった単純な精神論ではない、誰もが罹り得る恐ろしい疾患なのだ。それは東日本大震災でも問題となった。災禍は思わぬ方向で人間の心をも蝕む。アルベール・カミュは『ペスト』で疫病以上に恐ろしい人間の恐ろしさと精神の苦しみを描いた。
現状、第二波、第三波のパンデミックの危険性は十分あるものの、私たちは徐々にコロナ後の共存と共生に動き出した。301万人が失業すると言われている中、多くの人はコロナで死ぬより経済で死ぬほうが怖いだろうという私の読みは現実のものとなろうとしている。経験したこともない緊急事態と自粛の中で、経済的に人生が変わってしまった人もいるだろう。精神的な面でも、いい意味で変わった人もいれば、栗城くんのように悪化している人もいるに違いない。一連のパチンコ騒動の影で、まさかソシャゲ廃人が増えているとは思わなかったが、栗城くんが特別とも思わない。ギャンブル依存症、買い物依存症、ゲーム依存症、たかが趣味のはずが、誰もふとしたところで依存症の危機にある。それはコロナの罹患と同じく、誰にも平等に襲ってくるかもしれない病禍だ。非正規という先の見えない精神的な負担と経済的不安、それによる家庭不和は、疫病の恐怖の次におとずれる「コロナ後」の恐怖、大きな社会問題となるに違いない。
●ひの・ひゃくそう/本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本福祉大学卒業。日本ペンクラブ会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。近刊『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。