ねえ?と媚びられても困るが、クリエイティブな職業の人はこだわりや執着が強い面もある。私だって若いころはイタリア製の自転車に100万かけたしピュアオーディオに至っては計算したくもない。バイクは多い時で7台持っていた。サイドカー3台同時所有という時期もあり、任意保険代だけでもベラボーだ。時計のコレクションは雲上からグランサンク、アンティークなど100本を超えた。心筋梗塞で一度死んだら不思議と物欲は失せたが、他人のことは言えない身だ。しかしギャンブルは物欲よりやっかいだ。
「ソシャゲは純然たるギャンブルじゃないから大丈夫だと思ってましたが、やっぱギャンブル性が強いんですよ、だからこそ私がハマってるわけで」
ソシャゲもまた、ある種のギャンブル性をはらんでいる。何度も書くが、ほとんどのユーザーは安全に楽しんでいるのだが。
「でも依存症とかって感覚はないんですよね、まあ毎日ダラダラしてるけど仕事をしてないわけではないですし、趣味に大金つぎ込む人は珍しくない、さっきも言いましたが車なら普通にそれくらいの金が飛ぶわけで」
自分で分かっているはずなのに分かっていない。依存症とはそういうものだろう。私は医師ではないので精神保健学について突っ込んだ話は出来ないが、こういうある種ボーダーな人はたくさんいるだろう。パチンコやパチスロは店に行かなければ打てないが、スマホは誰の手にもある。ソシャゲは悪ではないが、楽しみ方を間違えば人生が狂う。よくある包丁のたとえ話ではないが、道具はその人の使い方次第でしかない。また薬物依存やアルコール中毒に比べて人体に直接的な影響を与えないところも逆にやっかいだが余計なお世話、彼の人生なんだから好き勝手にすればいいと思う人もいるだろう。
◆別居はゲームだけが原因じゃない。娘に会えればそれでいい
しかし、栗城くんには妻と小さな娘さんがいる。
そう、彼はゲームの中の少女に貢いで破滅しかけているアラフォーのおじさんで、お父さんなのだ。日ごろ真面目なルポタージュを心がけているつもりでも、栗城くんみたいな人をそのまま書くと誰も信じてくれないことがある。ここまであんまり過ぎる人だとこちらも困るし、それが自分の後輩とは正直うんざりするが、リアルとはそういうものだ。
「別居中です。自分が悪いことはわかってますが、さみしいですね、娘とは頼めば会わせてもらえてますが、いつ離婚されてもおかしくない状態です」
私は彼の娘さんを知っている。奥さんは杉並の実家に娘さんと身を寄せているが、彼女のご両親は離婚を勧めているそうだ。孫さえいればいいとのことで、そりゃこんな栗城くんがお父さんでは無理もない。ちなみに私はこんなパターンに近い男を他に3人、それも同業者で知っている。はっきりいって中小零細の出版関係者はどいつもこいつもヤバい。これ以上にヤバい元編集長の先輩もいるが、記事にしたところでさすがに信じてもらえないぐらいヤバい。現実はどんなフィクションよりイカれていることを、私自身はペンキ屋だった父とその周辺のさらにヤバいおっさんたちの人生に教わった。
「親として責任持たなきゃいけないことはわかってるけど、欲求に忠実なんですよね」