──その頃、甲南女子に通っていた百合子さんとは?
浜渦:選挙事務所に来ていたのは兄の勇くんだけで、1歳年下の彼とは国家や政治について何度も議論しましたが、5歳年下の百合ちゃん、当時のことなのでそう呼びますが、彼女とはそんな話をしたことがない。芦屋の小池家は線路近くにあって、実際には「芦屋のお嬢さん」と呼べるほどの家ではなかったんですが、お母さんは彼女をそのイメージで育てたかった。
彼女自身が言うように、百合ちゃんの顔にはアザがありますが、実はお母さんの顔にも同じようにある。お母さんはそのことを気にしていたようで、だからこそ特別、娘を大切にしていた。当時の百合ちゃんはほんわかした印象で、その後の政治家・小池百合子とは全くの別人です。
◆「百合子の応援をしてくれ」
──結局、勇二郎さんは落選します。
浜渦:選挙戦の最終日、勇二郎さんと鴻池さんと私の3人で、尼崎のガード下の焼き肉屋に入った。勇二郎さんはタスキを掛けたままで、まだ周囲に頭を下げている。鴻池さんと「もう止めましょう」と言いましたが、さすがにあれは感心しました。
ただ、勇二郎さんは「選挙のせいで会社が傾いた」と言っていましたが、実際には会社が傾いてきたから選挙に出たんです。勇二郎さんがやっていた三昌物産という貿易会社に、衆院議員になった佐藤文生さんがいたことがある。
その文生さんが運輸政務次官になった時に、「自分も当選したら通産政務次官になれる。そうしたら三昌物産がアラブの石油を一手に引き受けて、日本一の会社になる」と豪語していました。それが政治ですかと意見したら、「ポリティクス・イズ・ポリティクス、ビジネス・イズ・ビジネス」と言われました。政治とビジネスは分けていると言いたかったんでしょうが、私には政治を利用しているとしか思えなかった。