──彼女との関係は50年以上前に遡る。
浜渦:彼女はかつて、私が「家に居候をしていた」と言っていましたが、それは嘘。私は関西大学の学生だった頃、「日本の新しい世代の会」という石原さんの政治団体で学生部のリーダーをしていた。
関西担当の専務理事をしていたのが父親の勇二郎さんで、1969年に旧兵庫2区から衆院選に出るというので、石原さんから「彼には何もないみたいだから、君が学生を集めて手伝ってくれよ」と言われたんです。選挙事務所すらないので、その団体の尼崎支部長だった鴻池祥肇さんの事務所を使うことになり、私はそこで寝泊まりするようになった。プレハブがあって、私が集めた学生たちもそこに詰めていました。
あの頃の勇二郎さんは中曽根康弘さんに心酔していて、息子の勇くんに一時期「康弘」と名乗らせていたほど。それなのに選挙になって中曽根さんに支援を頼んでも全く相手にもされず、頼れるのは石原さんの人気だけでした。私が車上運動員、いわゆるカラスをやっていると、勇二郎さんはこう言えと。「石原慎太郎! 石原裕次郎! 小池勇二郎!」って(笑い)。
呆れたことは何度もあります。中曽根さんが海軍少佐だったのに憧れて、勇二郎さんは「自分は中尉だった」と言うんです。でも、私の父も偶然、海軍学校から終戦の間際にようやく海軍大尉になっていたので、「父より10歳も年下で海軍学校も出ていないのによくなれましたね」と言ったら、ケッケッケッと独特の笑い方をしながら、「君ね、嘘も100回言えば本当になるんだ」と。そういう人なんです。