昨年も試合に出ていた選手は2人しかいない。本来なら一緒になって目標に向かわないといけないのに、去年のチームは3年生と下級生(今年の3年生)とが、どうしても別行動になることが多かったんです。実質、今年の3年生に対しては昨年の夏が終わってからの1年間しか、じっくり指導することができず、今年に入ってコロナが感染拡大する中で、あっという間に試合が来てしまった。なんとか勝たせてあげたかったですが……」
昨夏までは大きな注目を浴びた佐々木たちの代への指導でかかりきりだった上に、年明け以降はコロナで選手たちも不安を抱えるなか、野球に集中できる環境を作ってあげられることができなかった。そう國保は自戒していた。
しかし、指揮官に「なんで勝たせてくれなかったのか」と本音をぶつけられる関係性こそ、昨年のチームに欠けていたものではなかったか。
ちょうど1年前の岩手大会決勝では、前日の準決勝で129球を投げていた佐々木を國保監督は登板させなかった。佐々木はそれまで4番として打の中心でもあったが、決勝では野手としても起用せず、強豪私立の花巻東に惨敗した。佐々木の起用の正否をめぐり、試合後は国民的な大論争に発展した。
「エースがたくさん投げたら選手は納得するのか」
私は、國保監督の采配には強い抵抗を覚えた。佐々木をマウンドにあげなかったことに対してではない。最速163キロに耐えうる身体に成長しきれていない佐々木の故障リスクを回避する代わりに、実質、4番手、5番手の投手を起用した決勝の戦い方が、とても35年ぶりの甲子園を目指した戦い方には思えなかった。佐々木の将来と、部員全員が共有する本懐である甲子園の夢を天秤にかけ、前者を選んだようにしか見えなかったのだ。試合後は「もうちょっと説明してほしかった」と明かす選手もいたが、多くはやりきれない感情を吐き出すこともできず、ただただ涙にくれていた。
指揮官の采配に、佐々木以外の選手たちが納得していたのか――そこに大きな疑問が残り、私は『投げない怪物』(小学館刊)を著したのだった。
「エースがたくさん投げたから選手は納得するのか。レギュラーの9人だけで戦ったら勝敗に選手は納得できるのか。正解が見えないことってたくさんあると思うんです」