その後、ニュースサイト「ねとらぼ」には『「私の勘違い」「虐待ではありません」 華原朋美、高嶋ちさ子に号泣謝罪 尋常でない様子の動画に心配の声やまず』という記事が登場し、華原は一躍ネットニュース界の注目株となった。この件についてはややこしいので、これ以上は説明しないが、華原と高嶋の間でトラブルがあったのだ。ヤフーニュースに配信されたこの記事は25日16時現在、約4300件のコメントがついている。
華原のこの様子について、長年の華原ファンの私の知り合いは「こんな朋ちゃんを見たくなかった」と語る。そうなのである。インターネットというものは非常に便利かつ優れたツールではあるものの、芸能人という偶像的な存在を途端に身近にしてしまうのだ。
華原はYouTubeでファンにお金を要求するような発言をし、波紋を呼んだが、これはYouTubeでやる必要はなかったのでは、とも感じる。
芸能界というものは実に苛烈過ぎる競争の場であり、毎年参加者が増えていくのだ。「定年」は存在せず、とにかく少ない枠を巡り、人気者がその座を獲得し、それ以外は「終わった人」扱いとなる。
華原は1990年代後半には大スターであったのは事実だが、今の状況を見ると完全にウェブメディアやネットユーザーから「失言」「奇行」を期待される存在になっている。こうした存在は決して華原本人にカネは落とさない。YouTubeの広告収入は多少あるかもしれないが、「失言」「奇行」を期待される、あくまでも「ヲチャー」としての存在だ。
「2ちゃんねらーは敵に回すと恐ろしいが、味方につけると頼りない」という名言があるが、これは事実である。「2ちゃんねらー」は今の時代は「ネットユーザー全般」とも解釈できるが、まさにこの通りなのだ。
せっかく歌の才能があるのだから、YouTubeでカネを要求するのではなく、ディナーショーやミニライブでコアなファンを満足させる道もあるのでは……と余計なお世話ながら思ってしまう。ネットを使うと途端にカネが稼げる、というのは幻想である。