また、相場作品では常に日本の今が物語を形作り、田川の語りに並走する大手通販〈サバンナ・ジャパン〉の敏腕マネージャー〈山本康裕〉の独白からは、今や各国の公取にマークされる巨大企業の本音も窺える。
「事件自体は2019年の設定で、コロナは無関係なんですが、実は連載から大幅に書き直す矢先に緊急事態宣言が出ちゃった。すると、うちでも買い物は通販に頼るしかなくて、アマゾンやゾゾタウンの大量の空箱を横目に見、ヤマトや佐川や、最近は孫請けも多い配達員さんの疲弊に胸を痛めつつ、結局は注文しちゃうんです、便利だから。
サバンナの場合、その便利さと引き換えに購買情報を吸い取り、通販業が赤字でもデータで儲ければいいというのが経営戦略だったりするんです」
かたや内外で大型施設を展開する〈オックスマート〉から高報酬で引き抜かれた国際派の山本。かたや能代の料亭の仲居の非嫡子に生まれ、神戸の縫製工場まで生きるために働きに出た詩子と、幼い娘を残し、借金をしてまで日本での実習に賭けたアイン。そんな社会の端と端を結ぶ糸を何度も見失いながら手繰る田川の手帳は当然膨らみ、各地で足を棒にする彼にとって、その土地土地の安くておいしいものと、昨年のお宮参りで撮った孫娘の写真が励みだった。
間近に迫るAIが人を働かせる時代
「僕の仕事場の近所のマクドナルドの前に、いつもウーバーイーツの注文待ちのお兄さんが並んでるんです。たぶん時給換算で300円も怪しそうだし、『日本はどんだけ貧乏になったん!?』って見てて本当に思う。
それこそ高校から海外に出た倅の友達が去年まではよく遊びに来てたんですが、日本に来たい一番の理由は食べ物でもアニメでもなく、『安いから』なんですね。デフレに日本中が疲弊し、町や人が壊れていく光景を『震える牛』で書いてから8年、事態はより悪くなっている。作家の橘玲さんが帯に寄せてくださった〈日本人はこうしてアジアの「下級国民」になっていく〉という言葉は、まさに至言だと思います」
サバンナ社では、年間一千万の娘の留学費用を稼ぐために転職した山本など、誰もが厳しい数字や馘首の恐怖に曝され、その皺寄せがアインのいた縫製工場の劣悪な環境を生んでもいた。実習生らに性的接待を強い、懲罰として〈鉄製の檻〉まで使う工場の女性常務〈黒田〉はしかし、〈ウチも人権無視されている〉と田川にこぼす。1割が富を握り、残る9割は〈死ぬまで働かされる〉社会に誰がしたのか、〈政府が精査した形跡〉は皆無だ。