人とつながることに大きな価値を見出す人が多すぎる
『家族という病』や『極上の孤独』で説いたのは、家族こそ他人、人生には孤独が必要だということ。それはコロナ禍のいまこそ伝えたいことだという。
「友人たちと食事に行きたいと思っても、なかなか行くことができない。お花見もできない。コロナの時期、人とつながれないからこそ、自分自身と向き合う時間がたくさんあるわけです。だから自分自身ととことんつきあう時間があるはずなんですよ。そうやってコロナをうまく乗り越えて、上手に時間を使えばいい。
でもコロナで文句ばかり言っている人、寂しいよねって言っている人は、まったく何も残らない。今度また人と会える時間がくると、同じようにべらべらどうでもいいことをしゃべってね。人とつながることがいちばんの価値、みたいなところがあるじゃないですか。
そんなことない。私は人とつながることに価値があるなんて思ってません。まず自分とつながらなきゃダメですよ。自分自身がどんな人間かを知らないで、人とつきあうなんてことはできません」
著書のタイトル「自分をまるごと愛する」に込めたのは、まさに「自分自身としっかりつながる」というメッセージだ。それこそがいまの時代に足りないと下重さんは喝破する。
「自分のいいところは誰だって知っているし、愛してる。でも“まるごと”というのは悪いところ、嫌いなところも全部です。人って自分と向き合うのが怖いというようなことがあるけれど、自分のことをいちばん知らないのは自分。どんなときに落ち込むか、どんなときに憎しみを感じるか、嫉妬するか、そういう自分のイヤなところまで、自分自身を掘るんです。
自分が嫉妬深い人間だなんて思いたくもないけど、やっぱり心の底にはあって、だから嫉妬について書かれた本が売れたりするわけですよ。芸能人の不倫ニュースで盛り上がるのも一種の嫉妬。不倫がけしからんと道徳的に怒っている人なんてほとんどいない。あれは本音を言えば嫉妬です。本当は自分もそうしたいけれどできない。あいつだけうまいことやりやがって、という嫉妬心を正義感にすり替えているだけ。
自分のことを本当にわかって、見つめることができた人だけが人を理解することができる。自分自身の理解もできていないのに、人なんて理解できるわけない。おこがましいですよ。イヤな自分を含めて残念ながら自分です。嫌いな部分だけ切り捨てるわけにはいかないわ、と思えれば、他者への想像力を持つことができるようになります」