日本文学の金字塔も鬱屈から生まれた
平安時代中期に活躍した作家の紫式部もまた、孤独な時間を創作に生かした偉人の一人である。幼少期に母を亡くした紫式部は、父の手で育てられた。山城守の藤原宣孝と結婚して、一女をもうけている。
だが、これから幸せな家庭を築こうとした矢先に、夫と死別。働きに出なければならなくなり、一条天皇の中宮彰子に出仕することになった。そのときの心境を、紫式部はこんなふうに語っている。
「心に思うのは『いったいこれからどうなってしまうのだろう』と、そのことばかり。将来の心細さはどうしようもなかった」
まさに、今の私たちにも共通するような心もとなさを抱えていたと言えよう。そんな将来に対する不安もあるなか、紫式部は筆をとって、物語を書き始める。
「私はただこの『物語』というものひとつを素材に様々の試行錯誤を繰り返しては、慰み事に寂しさを紛らわしていた」
こうして生み出されたのが、日本最高峰の文学『源氏物語』である。
たとえ、閉塞感を打開するという強い信念を今は持てなくても、自身の悲しみやつらさに寄り添って、今自分がどんな気持ちであるかを、まずは自覚する。そして悲しみを紛らわすために、少しずつ好きなことを始めてみれば、また新たな世界が広がるに違いない。
このたび発刊した『偉人名言迷言事典』(笠間書院)では、そんな偉人たちが人生の困難に直面しながら、どう打開したのか。気持ちが奮い立つような名言と、人生が嫌になってくじけそうになったときの迷言とともに紹介している。自宅で自粛を余儀なくされる今、先人たちの生き方を追体験してみてはいかがだろうか。
【プロフィール】
真山知幸(まやま・ともゆき)/著述家、偉人研究家。1979年兵庫県生まれ。業界誌出版社の編集長を経て、2020年に独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』『企業として見た戦国大名』『ざんねんな三国志』『偉人名言迷言事典』ほか著書多数。