天才卓球少女として世に出て人気者となった福原だが、その裏では卓球に打ち込むあまり、「親に愛された」という思いを抱けなかったのかもしれない。
一家には経済的な問題もあった。
「武彦さんが仙台で経営していた不動産会社が1998年、3億5000万円の負債を抱えて倒産し、債権者から1億4000万円の返済を求められたんです。家計が火の車になった夫婦は娘が卓球で稼ぐ収入に依存するようになりました。当時小学生ながら、企業とスポンサー契約をしていた愛さんは、一家の大黒柱にもなったのです」(福原家を知る関係者)
夫婦仲は冷え込み、両親は2004年に協議離婚したが、娘の試合には揃って応援に駆けつけた。この頃には福原の兄も仕事を辞め、妹のサポートに専念するように。家族の期待を一身に背負った彼女は、2004年のアテネ五輪に卓球日本女子の史上最年少となる15才で初出場。以降、4大会連続の五輪出場を果たした。だが2009年に福原を支点として微妙な均衡を保っていた一家がついに離散する。
「千代さんと離婚したのちも武彦さんは愛さんを頼りにしていましたが、愛さんは2009年の世界選手権で惨敗したことを機に『これ以上、父に振り回されてはダメだ』と決意し、愛さんの兄が『もう愛にはかかわらないでほしい』と事実上の絶縁状を叩きつけました。愛さんと絶縁状態になった武彦さんは、2013年に膵臓がんでひっそりと亡くなりました。
物心ついた頃から卓球を通じて両親とかかわり、小学生時代から一家の家計まで担うようになった愛さんは、彼女が後に描いた“普通の家庭”を経験しないまま成長した。いまは愛さんが武彦さんとの思い出を語ることはほとんどありません」(前出・福原家を知る関係者)