〈兵役を終えたムッソリーニは、1906年11月、トルメッツォの小学校の先生になります。しかし、今回もまた女性関係、とりわけ人妻との情事が問題となり、1年でこの小学校を辞めることになります〉(同前)
やがてムッソリーニは教職からジャーナリストへと本格的に道を変え、イタリア社会党に参加。政治運動に傾倒していく。第一次世界大戦(1914-1918)では狙撃兵として参戦、その任務期間中の1915年12月に前出のラケーレと結婚したが、その結婚にも“事情”があった。
〈ミラノの『アヴァンティ!』(社会党機関紙)編集長時代の愛人、イーダ・イレーネ・ダルセルが自分が本当の妻だと口外し始めたため、急遽ラケーレとの婚姻届を役所に正式に提出したのです〉(同前)
第一次世界大戦を兵士として経験したムッソリーニは、急進的な社会主義者から変貌を見せる。1919年、復員軍人らとともに「ファシズム運動」の旗揚げに参加し、政治家の道を邁進した。ファシズム運動はやがてイタリア全土を席巻。第二次世界大戦(1939-1945)にかけ、ムッソリーニはイタリアの「独裁者」として君臨した。なぜ、ヒトラーのドイツと異なり、女性関係が派手な政治指導者が、イタリア国民の熱狂的な支持を得ることができたのか。
〈その背景には、ドイツ人とイタリア人の国民性や風土の違いもあります。ムッソリーニの妻、ラケーレによれば、「ムッソリーニの女あさりの程度は、女性に愛想よい普通のイタリア人とほぼ同程度だった」というのです。ドイツでは、このような女性遍歴は「普通」ではなかったと思います。
しかし、日本では、ムッソリーニとヒトラーは独裁者として同列に扱われ、ファシズムもナチズムも区別されずに使われています。ファシズムと言えば、多くの日本人の頭に浮かぶのはヒトラーであって、ムッソリーニではありません。ナチズムは、ファシズムという全体集合の中の部分集合といった位置づけにもかかわらず、そうなのです〉(同前)
ヒトラーのナチズムを理解するには、ヒトラーが師と仰いだムッソリーニの思想と生涯を知る必要がある。
*『ムッソリーニの正体 ヒトラーが師と仰いだ男』(小学館新書)を一部抜粋、再構成
【プロフィール】ますぞえ・よういち/1948年、福岡県北九州市生まれ。1971 年東京大学法学部政治学科卒業。パリ(フランス)、ジュネーブ(スイス)、ミュンヘン(ドイツ)でヨーロッパ外交史を研究。東京大学教養学部政治学助教授などを経て、政界へ。 2001年参議院議員(自民党)に初当選後、厚生労働大臣(安倍内閣、福田内閣、麻生内閣)、東京都知事を歴任。著書に『都知事失格』、『ヒトラーの正体』など。