日本中に衝撃を与えた直下地震は、予知研究にも転換を迫った(時事通信フォト)
これを受け、1965年から地震に先行する現象の把握と解明による「直前予知」を最終目的とする国の地震予知計画が始まり、計画は「第7次」まで続いた。
「しかし、こうした研究の成果もむなしく、阪神・淡路大震災を事前に捉えることはできなかった。予知研究は抜本的な見直しを迫られ、阪神・淡路大震災の反省を踏まえた新地震予知研究計画が提案され、1999年からスタートしました」(長尾氏)
「東海大地震」を警告した「駿河湾地震説」の衝撃
旧地震予知計画下の1976年、東京大学理学部助手(当時)の石橋克彦氏が地震学会で発表した「東海地方に予想される大地震の再検討」というレポートが世を震撼させた。
1854年の安政東海地震から100年以上経過している駿河湾周辺には断層のズレが残り、大地震が「明日起きても不思議ではない」と発表。「東海地震説」としてセンセーショナルに報じられた。
「これを受けて東海地震の想定震源域周辺に地震計、歪計、傾斜計などの観測網が設けられ、東海地震予知のための観測が行なわれました」(長尾氏)
気象庁は24時間体制で周辺海域の監視を続け、発生の兆候を察知したら「警戒宣言」を発令する体制がとられた。結果、東海大地震は日本で唯一、予知可能性がある地震とされた。
「現在では『東海大地震』という言葉はあまり用いなくなりました。東海地震は東南海地震、南海地震と一体で発生する南海トラフ地震として考えるようになったからです。歴史上も東海地震が単独で発生したケースはなく、東南海、南海と連動して起こりました。
東海地震の警戒宣言を出す体制は2017年11月で終了し、南海トラフ全体の観測が進められていますが、危険が去ったわけではありません」(長尾氏)