『スタ誕』出身者が芸能界を席巻した
ここからは番組の興隆を4期に分けて辿ってみよう。まず第1期(1971~1973年)は森と同学年の桜田淳子と山口百恵がデビュー。“花の中3トリオ”としてアイドルブームを牽引する。歴代最多の25社からスカウトされた桜田は1973年の日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞。阿久は後年、「上手いとか、心を打つとかのほかに“光る”という要素が重要なことがわかった」と述懐した。
続く第2期(1974~1976年)は森と同世代の伊藤咲子、岩崎宏美、片平なぎさらを見出す一方、城みちるや新沼謙治など、男性歌手も輩出。実力派といわれるアイドルが多数登場したのもこの時期の特徴といえる。手の届きそうな高嶺の花か、手の届かない隣のミヨちゃんか──。お茶の間に入り込んだテレビならではの親近感が奏功し、視聴者は素人がスターに成長していく過程を楽しむようになる。
第3期(1976~1979年)は社会現象となったピンク・レディーを筆頭に石野真子や清水由貴子らが人気を獲得。各音楽祭の新人賞には『スタ誕』出身者が名を連ねるようになり、それまで「帝国」と呼ばれるほど権勢を誇っていた渡辺プロダクションの一強体制を揺るがす事態となった。番組が最高視聴率28.1%を獲得したのは1978年5月のことである。
第4期(1980~1983年)は柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、岡田有希子ら、人気アイドルが続々とデビューするが、プロダクションが自前のオーディションを開催し始めたことや、シンガーソングライターの台頭などにより、発掘機能が徐々に低下。番組とは無縁の松田聖子がトップスターに就いたのは象徴的な事象であった。