「プロレスラーがあんな顔して、つまりリングであれほどまでに暴れまくってるんですけれども、一番社会性があるのはプロレスラーだったんじゃないかと思う」
徳光:ハハハハハハ! やってましたね。もちろん僕らの仕事はほんとに受け身の仕事ですから、あの試合のときに、あのプロモーションのときに声がかかったことがうれしかったですね。もうプロレスをちょっと離れてましたんでね。僕はプロレス中継は8年間やったんですけども、ただ一つ残念なのは、いまスカパーを観ておりましても僕の実況するプロレス中継がほとんど残ってないんですよ。
吉田:ちょっと聞きづらいんですけど、プロレスって当時、いまよりもヤバい筋が興行をやっていたじゃないですか。その巡業に同行するのって危険なこととかなかったですか?
徳光:なかったと思いますね。やっぱりちょっと任侠関係というか、そういう人たちじゃないと仕切れない世界ではありましたけど。美空ひばりさんと広沢虎造さんの興行の延長線上のようなところがあった。ひばりさんと虎造さんの興行がレコード会社とか堅気の興行主に渡ることによって、比較的バックグラウンドが若干任侠関係の人のものがスポーツ関係に着手するようになって。僕らアナウンサーはそんななかに入らないですから、むしろ美味しい思いをしたことのほうが多いですね。いろんなところに連れて行ってもらったりとか、きれいなお嬢さんがいたりとか、そんなようなことはありましたよね。
吉田:先輩の志生野温夫さん(元日本テレビアナウンサー)の取材をしたときは、全女の巡業でヤバい筋の接待に同行したりとかしてたって話を聞きましたね。
徳光:女子プロレスは特に筋の方がやってらしたんですよね。男子のプロレスは山口組系の方であるとかね。でも、みなさんジェントルマンでありましたし、大阪方面で興行があったりなんかしますと、こんな美味い肉があるのかと思うような肉をごちそうになったりしましたね。それは芳の里さんと一緒に行って、先輩の清水さんに「徳光も一緒に来い」って言われて。野球をやってたらあんな美味しい肉は食べられない。神戸牛の最高の肉でしたから。
吉田:絶対そうですね(笑)。
徳光:だからプロレスをやっておりました弊害は、若い頃からちょっと贅沢すぎたかなっていう感じで、贅沢なものはずいぶんいただきました。
吉田:馬場さんがそういうつき合いがそんなに好きじゃないから、全日本では比較的クリーンにやれたんだろうなということですね。
徳光:そうですね。その馬場さんが一番の座標軸にしていたのが、「徳ちゃんの仕事も同じだろうけれども、親しきなかにも礼儀ありって、これはホントにいい言葉だ、深い。特にホントに親しいと思っている相手には気を配ったほうがいい」と。僕らの仕事もホントにそうだなと。それが冒頭に返りますけど、インタビューをさせてもらったときにはなるべく相手がいい気持ちになって、もう一度この番組だったら出てみたいと思ってもらう。
吉田:後味をいかによくするかっていう。
徳光:そういうこと。
(第3回へ続く)
※週刊ポスト2021年10月29日号