「産業革命前のがん患者は1%」説を検証
最新科学は、過去の人々の「健康状態」をも解き明かしてくれる。2021年5月20日、『ナショナルジオグラフィック日本版』に、「『産業革命前はがん患者1%だった』説は本当か、143遺骨で検証」の見出しが躍った。
従来、産業革命前の英国でがんに罹った人は、総人口の「1%程度」と考えられてきた。大気汚染とはまだ縁遠く、遺骨の目視評価からもそのような数値が弾き出されたからだという。それが、学術誌『Cancer』に発表された論文で、この1%という見積もりが小さすぎたとの指摘がなされた(2021年5月4日付)。
研究を主導したのは英ケンブリッジ大学の考古学科で古病理学の研究を行なうかたわら、英国の国民医療制度の病院でがん患者の整形外科手術を担当するピアース・ミッチェル氏。同氏は、かねて従来説に疑問を抱いていたという。産業革命前の人々もアルコール飲料を日常的に飲み、薪や石炭を燃やしたときに出る汚染物質に晒され、16世紀以降は喫煙者も増えていたから、いくら何でも「がん患者1%」はおかしいのではないか、と。
さらに同氏はこうも考えた。がんの大部分は軟部組織で発生し、骨に転移するものは骨髄から外側に向かって広がるから、骨の外側だけでは判別できない──。そこで今回はケンブリッジ周辺の墓地から集めた6~16世紀初頭の成人の骨143体をCTスキャナーとエックス線装置を用いて分析。英ピーターバラ市立病院の放射線科医アラステール・リトルウッドと所見が一致した場合にのみ、がんと診断することにした。
この分析でがんが見つかったのは143体中5体だったが、現代のがんによる死者で骨にまで転移している割合、CTスキャンで骨のがんが検出される割合なども考慮すると、産業革命前の英国人が生涯でがんになる確率は「9~14%」と算出された。従来説の十倍に及ぶ数字である。
推測に頼る部分か多く、対象地域も限られたことから、産業革命前の平均的な実状が解明されたとは言いがたいが、今回の研究が中世の病気にまつわる固定観念を揺るがすものであることは間違いない。環境汚染が極端になるより前から、がんによる死亡率が高かったとわかっただけでも、大きな成果だった。